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記憶 [social[社会事象]]

3月になり、ニュースなどでも、20年前の地下鉄サリン事件について、
盛んに報道していますが、事件の被害者は事件を風化させたくないと考えるパターンと、
思い出したくもないというパターンとあるみたいですね。

でも人間というのは、トラウマが治らないうち、傷が癒えないうちは、
その場所すら見たくないとか、思い出したくないとかって思うものです。
恐怖や、苦痛との戦いですし、記憶が鮮明に蘇ってくることが怖いという
側面を否定できない。

かくいう私にも、そういう経験はあります。私の場合は
命を取り留めたし、サリン事件のような悲惨な事件とは違うにしても。
誰かが理解してくれて 、応援してくれたらって思う部分もあるはず。
それでずっと勉強しているんです。
福祉という勉強は、理不尽と立ち向かう勉強だとも
言います。

事故に遭った被害者ですら、その場面の恐怖感から
立ち直るのには、時間がかかる。
そのことを主張すると、すぐにどっちが悪いかという
水掛け論になってしまい、余計に傷が深くなるなんてことも、
少なくはないはず。
刑法や民法の裁きだけではないはず。
死刑でも、許せないパターンだってあるはず。
加害者側の責任、被害者側の過失?
そんなことだけで片付くものか、と思う。
周りで見ていた傍観者だって、傷を負うこともあるし、
誤認逮捕や、逃亡ということに対する過失は、警察が全面的に
賠償してくれるのか?
そのことで、傷を負ってしまったら簡単には癒せないでしょ?


自分自身が誰かの支えになって、助けたいという思い。
この勉強をするということは、自分の傷を受容し、容認する、
トラウマを克服する必要があることです。
もちろん、自分自身で克服していくから、人生なのだから、
いたしかたないが、一人一人では、力は小さい。
克服できなければ、挫折するかも、という宣告を講義でも
されたことがある。
インフォームドコンセプトだったりして。

私自身物事が、協調になるように気をつけなくてはいけないし、
克服ができないことがスパイラルを巻き起こす原因に
なってしまうことがある。(。-_-。)
これは、音楽の、和音と不協和音のようなもので、
きっと、すべてに通じること。
協調が望ましく、明るい曲もあれば、
やはり哀しい音楽は、哀しいし、
マイナーな曲調でもひとつの音楽は
音楽だ。*\(^o^)/*

資格をとっても、その部分の克服が自分に必要で、人が協調するために
何が必要かを考えなくてはいけないし、そのために今持っている資格と、
考え方や倫理観ということを叩き込まなきゃいけないし、
だからと言って、実際にその資格を行使してその物事を
行うことは、それがどういう風に人のために社会のためになるかということを、
周囲が理解して、認めてくれないとただの自己満足になってしまう。

例えば、あなたが事件の被害者だったとして・・・・・
本人は、そのことも思い出したくない、関係のある地名も聞きたくない、
関係のある言葉も聞きたくないとして、そのことがトラウマだったとしたら。
理解をしない人が近づいて、理解できると力説しても、その人の心には
決して届かない。
届かないということは、解決にはならない。(-。-;


見たくない、思い出したくないという人への配慮が必要な
場合もある。
思い出したくない人には、助けの手が届かない?
思い出したくない人を
助けられる方法もある。本当は。

力では解決しないこともたくさんある。
誰かが力で解決した問題だけでは、戦争は無くならない。


でも、その時に独力なら、自分自身の幸福や協調が必要不可欠になる。
それも、説得力を持たせるなら、そうとう強い意志が必要。
被害者同士の支援なら、トラウマを克服できるかも。
という視点が、配慮になると思っていただきたいです。

考えてください、一人一人、ひいては、自分自身のために。
誰のための幸せ?は、社会の一員として、という想いだと考えます。
みんなの幸せが自分の幸せ、です。♪( ´θ`)ノ
ほら、オールフォアワン、ワンフォアオールっていうでしょ?

何年も、そういう想いでボランティアなんかをしましたが、
なかなか難しく、自分自身の問題をきちんと克服したいです。
私の心のことなどわかってたまるか、と思う自分が
今も心の中にいて、でも、そのことを克服するしか方法は
ないわけで、本当は、そういう自分を変えるのは自分自身でしかないし、
自分の経験によってしか克服はできない。
その時に理解をしてくれる仲間は、そんなにたくさんはいないわけだから。
待っていても、誰も変えてはくれない。
自分自身を変える努力をしてみたいと、ずっと考えている。

被害者を、孤立させてしまってその人たちの自立の
努力を遮ってしまうことが一番の問題で
肝心なのは被害者にも選択の権利がある、ということです。
選択の権利と、自由の余地。
被害者だから、何もさせてもらえない?
それじゃあ、犯人と同じにされているように
受け止めるでしょう。
いつか、犯人に対する恨みつらみがまた、スパイラルになる。
だって、例えばテロの被害者を保護するという理由で、
「あの人は特別だから・・・」
と被害者を扱ったら、理由がわからない人には、
「そんなに特別な人なのか」
と勘違いされても仕方ないわけです。
それが積み重なれば、その被害者は結局孤立していく。
その孤立が、誤解を生む。
結局、本当の被害者を孤立させてひいては、
犯人と同じにしてしまうのだから。
その孤立が生むものは、犯人や事件への憎悪だけですよね。
事件全体が憎い、その地名が憎い。
それは、次の事件への引き金になる恐れがある。

イスラム国の一件をみれば、よくわかる。負の応酬になる。
あえて、ここに記してしまうけど。
読んでいて不快になったらごめんなさい。
行方不明や被害にあった方々のご家族は、
おそらくそう思うはずです。
幸せを祈りたくたって、綺麗事にしかきこえないはず。

そう思いながら、いつもこのブログを更新しています。
わたしは、今は平和について考えられる。
その幸せに、とても感謝をしています( ´ ▽ ` )ノ




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are you happy? バースデーは、グラウンドゼロ [social[社会事象]]

「7月4日に生まれて」という映画をご存知ですか?
オリバーストーン監督、トムクルーズ主演のアメリカの映画。
7月4日は、アメリカの独立記念日で、イギリスの植民地から独立した日。
日本では江戸時代ぐらいなのだが。
この映画はその独立記念日に生まれた主人公が、ベトナム戦争に出征して、
半身不随になってしまうが・・・・という映画。

私の誕生日は奇しくもグラウンドゼロの9月11日です。
30歳になるくらいに、それは突然起きた。
(ごめん、28歳くらいの時だわ)
まだ子供が幼かったわたしは、子供たちを寝かしつけたあとの
ニュースで、その映像を見て本当に衝撃を受けたのを、いまでも昨日のこと
のように覚えている。(~_~;)
いや、違うな。
日中、第一報が流れて、その話を夕方に知人としていて、
夜のニュースで映像が流れたんだわ。
確かそんな感じ。

私の誕生日はそれ以前からその日で、なにも変わらない。

3月11日に被災地でお生まれになったお子さんもいるもんね。
彼らに幸多き人生が訪れることを祈ります。♪( ´▽`)

最近ふと、あの映画を見ていてよかったなあ、と思った。
主人公は生まれつきその日がバースデーなのですよ。
でも、人生の荒波は果ては、彼を失意のどん底に陥れてしまう。
でも、彼はのちに反戦運動を始めるのです。

この映画は本当に哀しい映画で、非常に印象深い作品でした。
でも、アメリカのという国や、国民や、人類にとっての戦争が何かを考えさせてくれる
素晴らしい作品でした。( ̄^ ̄)ゞ
もちろん、トムクルーズの演技も本当に素晴らしい。

いつか、グラウンドゼロの跡地に行けるといいなあ、と思う。
本当は、新婚旅行にニューヨークに行きたかったが、叶わぬ夢だったさ。
パスポートはあったが、さすがに、予算と日数不足で・・・・
かわりに、平和の神様は、私たちを沖縄に
呼んでくれたわけでした。
そのころ、まだ2人はいずれニューヨークに起こる悲劇を
知る由もなかった。ってか。(⌒-⌒; )

そして、わたしにとっても、地球上の多くの人々に
とっても、地球上の一人一人の生命の重さというのが
倫理という言葉だけでは片付けられないほど、
重要なものだと感じ取ってほしいと思います。
淘汰という言葉は厳然として存在して、
宇宙のサイクルの中では、人間の生命は本当に小さな
ものだけど、それでも、人間に人間を淘汰する権利など、
あってはならない、と思う。
人間同士、痛みを分かつことができることが必要なことで、
大量殺戮の悲劇を、何度も繰り返してはいけない。
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓


銀河鉄道999というアニメがあって、世の中はああいう
宇宙世紀のような世の中になっても、かんたんに殺戮を
やめないのだという。
でも、あのアニメはこの先の世界に重要な教訓を
たくさん描いていて、機械と人間のWARを描いている。

機械の進化や技術は、独立戦争とは遠い時代になり、
ほんとうに、アンドロイドやクローンの時代になるようだ。

それでも、人類は人類として生き残るんだろうね。
殺戮を正しい道として、戦争を繰り返すのか、
宇宙との共存の道を選び取るのか?
機械として、魂だけが輪廻を繰り返していくなんて、
かんたんに信じられないもんね。






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平和と沖縄 [social[社会事象]]

沖縄について。
私が沖縄にいったのは、1998年。沖縄サミットの2年前の夏の終わりだ。
まだ、サミットの準備前で、地下鉄の工事にとりかかる前だった。

わたしには当時、縁あって、沖縄から大学へ入学し、勉強しに来ていた
沖縄生まれの友人が何人かいた。
また、沖縄から大学を経てそのまま就職した中に、沖縄から上京してきている
者もいた。

1週間近くの旅行は、恩納村と那覇に半分づつ宿泊をした。

レンタカーで、島内観光をした。
友人の旅行会社の組んでくれた、オリジナル個人ツアーで、
オプションにシュノーケリングや、ウェイクボードをつけた。


豊見城市にある、海軍司令部防空壕

地図を探して、やっとの思いでたどり着いた場所。
防空壕に入る階段には、千羽鶴がいくつもぶら下がっていた。

地下に、いくつも部屋があって、そのなかには、沖縄戦で、
敵に追い詰められて、防空壕内で、手榴弾によって自決した
爆発の痕跡が痛々しく跡を残していた。(合掌)

沖縄戦跡国定公園

平和の礎や、ひめゆりの塔がある。
平和の礎は、戦没者を祀った名前の入った石碑。

ひめゆりの塔は、沖縄師範学校の女子部の生徒が、沖縄戦で、従軍看護婦として、
動員され、陸軍病院で学徒として従軍したが、そこで、戦死したひとたちを祀ったものだ。

写真は辺野古岬で、祖国復帰闘争の碑。
名護市のキャンプシュワブの近く。

国際通りや、海洋博の跡地なんかは、わりと、有名な観光スポットだが、
首里城は、琉球王国時代の華麗な遺産で、琉球王国の栄華と
ユイマールといわれる思想に触れることができる。

素晴らしいのは、アジアの小国が、200年以上も戦争する武器も持たずに、
流通貿易と、もてなしを外交手段として栄えたこと。
(一説には、450年以上ともいわれる)

そして、その小さな国が、明治維新とともに解体され、日本に吸収され
太平洋戦争に巻き込まれていく歴史の史実には、涙が出てきます。

もういちど、生きている間に行きたいところのひとつ。

サミットの後、だいぶ変化したのだろうが、
もういちど、訪れたい。

いまも、30度以上の灼熱の空気と、
その風景の背後にあるひめゆりの塔が
記憶に鮮明に残っている。

若い人たちが、再び間違いを犯さないように、
私たちが伝えられる真実があるはず。

写真が古くてすみません。
もう、17年くらい前かな。
私も一緒に載せようとかとおもったが、
あまりに、若くて可愛らしく恥ずかしいのでやめておいた。
[わーい(嬉しい顔)][あせあせ(飛び散る汗)]自画自賛かあ、今と比べると、なんでも、可愛らしく見えるよ。

最後に、従軍看護婦というのは、内戦が激しくなった沖縄において、
従軍して治療や救命をするために動員された、ということで、
公娼制度は、べつに、戦時中に世界各国であった事実とされています。
沖縄の人たちの名誉にかけて、沖縄での本土決戦の激しさを
理解していただきたいと考えます。

image.jpg


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最近・・・・ [social[社会事象]]

最近、ネットのネタとかでも、第2次世界大戦などのネタが多いが、
残忍さを履き違えるのが多いから、きもちわるいよね。
本当は、ああいった暴力的な要素は、不快な感情を抱くはずなのに、
今の現代人は、暴力をみて陶酔感とか感じる人たちも多いわけでしょ?
まあ、殺人遺伝子みたいのが目を覚ますのだろうが、
個人的には不快・・・・・・
 わたしは、戦争時代の残虐性のある映像とかは、悲しいし、気分が悪いし、
本当に嫌な気分になります。
綺麗な景色の写真の方が何百倍も好きです。

大きなニュースが世間を騒がせているが、殺害の映像をネットで流したの?
わたしはあの、ニュースでの、紗がかかっている画像しか見ていないので、
わからないんだけど、悪というのは、実際にその現物をまざまざとみせなくても、
表裏一体となって、滲み出てくると、おもう。
それは、哀しみ然り、喜怒哀楽全て。

実存というのはそういうもので、人は見てもわからないよねえ、なんて噂でいうことは、
むしろ逆で、下手すると事件やなんやらの裏には壮絶な悲哀がある場合もある。

反対に、本質的には悪のような部分は、くっきりとした輪郭をともなって
忍び寄ってくるようなものだと思う。

脳が、痛みや感情やその他もろもろの信号を、身体中の端々に送り、人間はそれに伴い
行動をします。

その、信号がより、正確で清廉潔白な電気を体内に送り続けることを、心より祈る。
そのことが、人間の人格となり本質となり、そして、恒久の平和のために
心血を注ぐことができる人生にたどり着きたい、とわたしは考えます。

ひとりでも、多くの人間がそういったことに気づき、平和を祈ることが心の底から
できれば、世界を変えることだってきっとできると思う。

本当の悪の本質はね、くっきりしているだけではないし、それは、本当に
嵐の渦巻きのようなもので、スパイラルというけれど、一つの悪は、
ブラックホールみたいに、いいものまで善まで真っ黒に染めてみんな吸い込んで
しまう。本当に、心の底から悲しいことだが、簡単に一人の力では止められない。
善というのは、天使が舞い降りてくるみたいにスーッと包み込むようにおりてくるもの
なんじゃないか、なんて、妙な想像をしてみたりする。

自分自身がどんなに強力なスパイラルに巻き込まれても、見失わないこと、
善くありたいと、心より願うことを忘れたくない。
そして、絶対に負けたくない、と思う。



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いやあ、何があるかわからない [social[社会事象]]

じつは、先月末に、我が家の長男が事故に遭い大事には至らなかったが
膝を負傷。
そのため、まだ1年以上残す高校受験の進路の、変更を考えざるを得ない。
本当は、市立船橋の対外試合を12月に観戦する予定だったのだが、断念。
夏に来年の予定の件で同校からわざわざ電話をいただいたのだが、今回の件で、
ちょうどオリンピックが近づき、体操を筆頭に多数の選手を抱える
同校だけに、1年時の練習はそうとう過酷らしく、さすがに、
不安を抱えてまで受験をさせられない( ;  ; )
と、いうことで、近隣の県立の進学校に志望を変更して、あと1年受験勉強を
頑張るそう。
まあ、1度しかない高校生活なので、頑張ってほしい。
案外、本人はあっけらかんとしていて、ひと安心。
まあ、サッカーは続けるようだ。原因が事故なのでさらさら
辞める気は無い様子(^。^)

それにしても、11月なのに、生暖かい感じだし、噴火のニュースばかりで、
地熱上昇だったら、やだなあ、と思う今日この頃。
2月くらいに大きな地震がある可能性を、先日テレビで示唆していたが、
不景気まっしぐらって感じだし、なかなか良いことがありませんね。

そういえば、最近初めて、iPadを我が家に導入した。
いままで携帯もスマホしか使ったことがなかったので、初のタブレットは
なかなか使いやすく、パソコンよりいい感じ。

画質は非常に綺麗なので、Facebookなんか、編集しやすいです。

これは、仕事や、作業には本当最適。データ通信の速さや画質を考えると。
ゲーム機にしてしまったら、無駄金だなあ。

I tune関連のアプリも、充実で
音質も悪くない。(^。^)

まあ、私が子供のころはまだ、パソコンがあまり流通していない
時代だったので、まさかこんな機械が登場するとは思わなかった。
映画の世界のよう。
そういえば、この間、ソフトバンクの店の前から、ペッパーくんが
姿を覗かせておりました。
初めて現物見たよ。











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デング熱ではなくてよかった(*^_^*) [social[社会事象]]

デング熱がはやること自体、どおか?

風邪が流行っていて、久々に熱を出してしまい、でもデング熱ではなくてよかった。

おー怖・・・・・・・・

明治神宮まで封鎖してたもんなあ、(゚д゚)驚きでございます。

今年は、いろいろと忙しくて年末までアップアップで、

早く落ち着きたい・・・・・・

ふと、思い出したことがあり、そのことについて考えていた。

フランス語は、物に女性名詞と、男性名詞を付けるんですよね。

ドイツ語も冠詞が女性、男性の別があるそうで。

どう言う意味か?太陽に、男性名詞のLeをつけて、Le Soleil  (太陽)

女性名詞のLaを海につけて、La Mer (海)

という感じかな。

日本語には、そういう概念がないので、あまりピンと来ないんだけど、

まあ、例えば、海をこよなく愛する芸術家がいたとして、その人の愛の象徴は

海であり、それをフランス風にいえば、女性と例えるなら、そういう概念で芸術

や生き方が成り立つのであろう、と。

日本人の愛の象徴は、もっと直接的で人間というものにダイレクトなので、

小説を書こうとするときに、私はいつも考えてしまう。

恋愛小説だけが小説ではないんだけど、なにをどう書くか、という時に

なんとなく、このヨーロッパ的感覚が非常に役に立って、自分の肌に合う感じがする。

要するに、例えば、福祉という学問があって、私はこれにであってすぐ、人生の

パズルの空白がぴたっとはまったような感覚があって、それで、どんなに難しい言語であろうと

この福祉という学問においては、その言語や感覚、学術一つ一つをとても愛おしく感じる。

というような、人や生き物だけでなくとも、人間が魂を吹き込むことができれば、

それには、愛というものが宿るのではないだろうか、と考える。

欲というのは、もっと次元の違うもので、でも、それはそこに快楽が介在すれば、

自然と生まれてくるもので、でもそれはもちろん愛にも通じることではあるが、

愛には苦痛を伴うこともあるだろうから、形が見えないという意味では同じだが、

もっと複雑なこと。

という意味で、物を人に置き換える表現というのは、非常に大好きな表現で、

それこそ、その感覚こそが、愛情という物のかたちなのかもしれない(´∀`*)

なんとなく、胃の上の方があったかくなってくる感じ、そういう感じしません?

私は、ヨーロッパの文化のこの感覚に触れると、いつも、なぜか、胃の上の

ほうがポカポカしてくる感じがします。なんだろう?[るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん][るんるん]

生まれ変わったら、フランス人に生まれたい!!(´д`)


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WAR IS OVER 2  [social[社会事象]]

休みにはいって、10キロ超を走り、いろいろ考えた。

あすは終戦記念日なんだけど、前回の続き。

私はキリスト教で挙式を挙げたんだけど、日曜礼拝にもいった。

本当はキリスト教に改宗したかったんだけど、日本ではむかしから、迫害の

イメージや、殉教のイメージが強すぎて断念。( >Д<;)

教会さん、ごめんなさい。私の場合9.11がバースデイなので、

まあ、ある時期に急にそうなったとは言え、

先祖の因縁とか、お遍路参りとか巡礼の旅のほうが先決の様子で、

そうなりました。(いろいろ、家の事情があって、結婚で家の籍を出ているので

戻ることもないだろうし)

それで、どうしてもそういうイメージになってしまいます。(´Д`;)ヾ 

基本的には、キリスト教では人々は罪を犯すもので、その罪を洗い流すために

祈りを捧げるというもの。礼拝では、聖書の教えをいろいろ教えてくれる。

で、日本は、国民主権、基本的人権の尊重、戦争放棄という大原則の憲法が

戦後GHQの統治下で制定され、そこには、信教の自由、言論の自由、思想の自由

ナショナルミニマムが保障されている。で、一夫一婦制で、人身売買や奴隷制、

身分制は、現在は否定されている。

その、日本の中で生きていくにあたって、私は昔日蓮宗のお寺さんに墓がある家にいたので、

昔、法事や葬式はそのしきたりでやった。

で、いろいろ、調べるうちに、仏教にも種類があって、例えば、輪廻のサイクルから

離脱して、修行を積んで悟りを独力で開くもの(小乗仏教というらしい)や、

チベットから日本に伝わった、大乗仏教(すべての人を救おうとするブッダの教え)

というものがあるらしい、ということを知った。

で、インドとか、チベットとか言うと、なぜか、すぐに一夫多妻制を思い浮かべるみたい

だけど、実際には、現在は一夫一婦制らしい。

こういうことを書くととても嫌がられるんだけど、

(そのことは承知で)

一夫多妻制は女性から見たら、奴隷制とたいして変わらない(個人的感想)

男性だけが、召使をたくさん使えるのか?という話になってしまう。

生命倫理的な問題としても、差別やいじめを生むだけだと思うんだけど。

私は女性なので、一夫多妻制が非常に効率が悪い感じがする。

で、男性の立場は、一夫多妻制を否定する女性を排除したいから一夫多妻制を

信望したいのだろうが、(それでは完全にいじめと虐待のサイクルだ)

あと、現実問題は、一夫多妻制は一部の人間の幸せのための方法論で

あるから、一夫多妻制は女性を幸せにするシステムではないと思う。

男性はしあわせかもしれないが。でも、一つ言えることは、

一夫多妻制で、劣っている女性から生まれた男性はその時点で、

男性としての地位も剥奪されるわけだから、男性だって不幸になる。

(優位の女性から生まれた男性ばかりが恵まれるわけだし)

だって、そうしたら、優位の女性だけを娶れば済むことですよね。

結婚しない奴の方がよっぽど頭がいい。なんでも自分でできるようになる。

でも、男性でも女性でもそれができなければ、その人が劣っているんだから、

そのために一夫多妻制でごまかしたって、優劣はなくならない。

自分の好きな人だけ集めればいいんだ、というのであれば、

それが可能なところでやればいいわけですよね。

そうしたら、すべての人を救済する必要はなくなるわけだから、

いらない奴らには、いらないっていってやればいい。

そうなってしまうでしょ?(同じことだよ、理解できない相手に理解させることは難しい

でも、自分自身が生きていくために、そういう防衛手段が必要な場合も

あるでしょ?)

でも、宗教はそもそも皆のルールを守るための教えだから、

日本は一夫一婦制だから、それを守るための教えであって、違う理屈を押し付けてきて

性的暴力を強要するようなひとたちが違うのではないか。

そして、それは、日本人が過去に生命倫理を守れずに、人身売買を横行させたという事実があり、

だから、当時アメリカは一夫一婦制という価値観で、統一したルールを作ったので、(それは

平和への解決手段として。理屈はジハード、と同じなんだけど)

私は、むかしとある先生に、「悪いことを一人がすれば、みんなが悪くなる。良いことをみんながすれば

みんながよくなる。だから、善行を行うこと。」そう教わった。(このことは、大乗仏教やノアの方舟の

神話信仰という感覚に近いのだろう)

私はそれで、今も人のためになるであろう(そう信じているけど)勉強をしている。

一人、考え方が違う人間を八つ裂きにしても、その人を神にしてしまうだけで、

暴力に訴えた人たちは何も解決しない。

アメリカが押し付けた憲法という人達もいるようだが、そういう妄想が

地獄を生むのであって、違う価値観を信じることができないから

同じ悲劇を繰り返してしまう。( ; _ ; )

明日、8月15日を迎えるにあたって、(もちろん毎年だが)

世界の平和を祈ることと、自分に何ができるかを

心の底から思い祈る。[かわいい][かわいい][かわいい][かわいい][かわいい][かわいい][かわいい][かわいい][かわいい][かわいい][かわいい][かわいい][かわいい][かわいい][かわいい][かわいい][かわいい][かわいい][かわいい][かわいい][かわいい][かわいい][かわいい]


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やっぱり、きちんと勉強しましょう~WAR IS OVER~ [social[社会事象]]

私は、何度もいうが、正真正銘日本国籍の日本人なんですが、(日本人の戸籍を有する両親の

もとに生まれましたし、日本語で生活してきたし、何をどう説明すればいいのか?)

日本の学校教育をうけてきて、

授業ではまったく教わらなかったことが世の中にはたくさんあり、福祉の勉強をしてから、

知ったことがたくさんあります。

まあ、例えば、朝鮮半島について。

日本が敗戦後、朝鮮半島が南北に分断されて、日本の終戦から3年後の

8月15日に大韓民国は建国している。

それは簡単な歴史上の事実なんだけど、私は朝鮮半島に

行ったことがないので、よく報道される内情が実際には

よくわからない。(本当なのかが、よくわからない、ちょっと心痛)

ただ、建国の日付なんかを考えると、韓国に対する

親愛の情のようなものを表現することが正しいことの

ように感じる。(問題はたくさんあるが、同じ黄色人種です)

[晴れ][三日月][晴れ][三日月][晴れ][三日月][晴れ][三日月][晴れ][晴れ][三日月]

日付に関しては、申し訳ないんですが、韓国は旧暦を使用しているのかな?

日本では、基本的に新暦(太陽暦)ですので、1ヶ月くらいずれがあるかなあ。

頭がこんがらがるんだけど。

ちなみに、沖縄は、祝い事は旧暦ですね。(最近はそうでもないそうだが)

最近は、日本でも、満年齢で、祝い事をするパターンが

増えていますので、旧暦とのズレという感覚を把握しづらいですね。

それに引き換え、沖縄のことは、私が生まれた頃に日本に

返還されたこともあり、実際に行ったこともあるので、

とてもよくわかる。

例えば、防空壕に、自決した兵士の手榴弾の跡が残っていて、

一般開放していたり、(内戦の証拠だから、凄まじい)

かの有名な国際通りというところは、まあ、日本の風景とは

違う趣向のものだ。(海が近くても、私の生まれ故郷にほど近い

江ノ島とはやはり違う)

けれど、民家の佇まいとか、三線も見てきたけど、

やっぱり、同じアジアの国の文化なんだなあ、という共感、

そういう感覚が非常に強く心に残っている。

明治以前まで、独立王国でその後終戦後アメリカに統治され、

1970年代に日本に返還された。

で、とくに、第一次世界大戦から、太平洋戦争・第二次世界大戦終戦まで、

もちろんその後も簡単に悲劇はなくならないが、

人間が侵してはならない過ちを、その短い期間に人類は次々に犯してしまい

今この世の中に対して何を考えるのか?

明治維新によって、日本は鎖国をとき、身分制度をなくし自由を勝ち取った

かに見えるが、そのことが、第一次世界大戦の最初の引き金だったことは

疑いようのない事実ではないか?

自由と、平和と、その代償として、たくさんの人々が犠牲になるとしたら、

私たちには、何ができるのだろうか?

身分制度が必要なわけではないのだけれど、福祉の先進地域である、ヨーロッパ

などは、共産主義の概念を従前の共産主義国家から学び、通貨や経済や宗教の

共産主義的概念だけを残したようだ。(本にそう書いてあった(*´∀`*))

それに、福祉的概念を国家の制度として、たくさん構築していって今のような

安定とゆとりと、通貨の高い価値を評価される文化を作り上げた様子だ。

(なんか、難しすぎて、英語の例文のようになってしまいます・・・・・( ; _ ; ))

日本はこれから、日本古来の文化をきちんと伝承できる教育が必要で、

さらに、成人も、日本という国家の正体をきちんと理解しなくてはいけないと

思います。

今日は、長崎の原爆の日で、15日は終戦記念日です。

今は、日付に姿を変えてその史実を伝えているが、すべて実際にあった事。

そう、「イマジン」ではないが、イマジネーションを働かせて想像してみることが、

大事だと痛感。

そして、想像してみることができる平和のもとに生まれた

自分たちの強運に感謝しよう。

追記、2001年、9月11日の13日後にオノ・ヨーコさんが

imagine all the people life in peace

という、広告を出した、という件で、peace という言葉の解釈についての

語源がいろいろあるそうで、私はそのことを知らなかったので、

昨日私が使った平和(peace)

という言葉が正しいか?どうか?

本意は戦争のない日本に、この時代に生まれたことを感謝したい、

という感じです。

でも、世の中には、わかりあえないことがたくさんあるからね。

たとえば、戦時中のことは、日本人が謝罪すればすべて解決

するわけではない。そういうふうに考えました。


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自分自身ということ [social[社会事象]]

介護現場にて、仕事をしていてよく考えたこと。

例えば、自分の手を使って食事がしたいという言語的要求があったとします。

自分の足で、歩いてトイレに行きたいという言語的欲求があったとします。

その言葉を聞いた私は、人間らしい生活を取り戻したい、と、訴えているように

感じたことがたびたびありました。( ; _ ; )

人間が、人間としての尊厳を保持して、人間らしい生活を維持することのアシストを

することが、介護や、福祉という仕事の役割です。[晴れ]

そのこととは別に、日常生活において、尊厳について考えさせられることが

よくあります。

高度経済成長期以前の日本は、集団としての教育が浸透していました。

社会主義国家や、共産主義国家や、全体主義、軍国主義と言われるような前時代的な国家の思想も、

そういう側面が多々あったと言われています。

2025年頃日本は高齢化社会のピークを迎えます。その後、その数は緩やかに減少していきます。

そして、高齢者や人口が減少していく過程で、北欧を手本にした、高福祉高負担の社会構造へと、

転換していくといわれています。 

(2025年以降、人口に対する高齢者の割合が増加する、超高齢化社会を迎えます。人口は徐々に減少していく

ため、高齢率はどんどん高くなると言われています。)

かつて、共産主義国家に叫ばれていた、理想の経済主義論、のような、そういう、資本主義国家とはまた

別物の社会構造の世の中と、いいます。

要するに、現代の資本主義構造が崩壊し、人類個々の人権や、基本的権利が絶対的に保持される世の中。

そういう世の中には、暴力や戦争といったものはない、といいます。

しかし、現実は、飢餓や、人口の増加、伝染病の蔓延などから、いまだ、解放されない途上国の

人口も地球上には数多くいて、そこでは、貧困や、戦争や暴力が絶えないのが現実です。

尊厳というのは、集団の理論では、口に出してはいけない理屈のこと。けれど、本当に理解ができれば

とても重要なことです[三日月]

個人的には、これからの日本は、子供たちに自分自身、というものを、エゴではなく、わがままでもない形で

きちんと教えられるようにしていく必要があると考えます。

自分自身が何者なのか、人間としての尊厳をどう全うしていくか、そして、社会のための自分という役割と

意義、そういうことを自ら知っていく教育を、子育てをする親たちひとりひとりが、自覚をもってやっていかないと

日本の子供たちは、前時代のように逆行して、暴力や退廃に身をゆだねて凶悪犯罪に手を染めてしまいかねない。

一度、世の中に産み落とされた子供たちは、死ぬまで、その、基本的人権が侵害されてはいけない、

というルールがあり、尊厳が保持されるべきだという倫理があります。たとえ、身寄りの全くない子供でも

、凶悪犯罪に手を染めてしまってもです。

すべてのうみ落とされた生命には、身体と、魂と人生が与えられるということなのです。

(犯罪を犯した子供たちに厳罰を科すかどうかは、また別の倫理として。)

すべての子供たちが平等に健康的な生活を営む権利があり、それはけっして、侵害されてはならない

ということなのです。

 もうすぐ、東京では再びオリンピックが開催されます。

それまでに、震災級の災害なんてくると思います?

ただでさえ、前回の大震災で、ご家族や住む場所を失った人々が多くでたのですから、

もう、東京でオリンピック終わるまで、そういうネガティブな思想はまったく無視しちゃって、

世のため、人のため、正義のために、日本を良くしていきましょうよ。

私は、10年は震災級の災害なんてないと強く願うし信じます!!(断言!!)

まあ、一番は、未来のこの国を支える子供たちのためにです。

と、いうことで、今の夢は、東京のパラリンピックで、ボランティアとかできたらいいなあ、

(っていうか、やったるぜい!!まかせとけ!!くらいな感じ)

それまでに、勉強たくさんして、北欧にも行ってみたいなあ、なんて思ったりします。(*´∀`*)

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