記憶 [social[社会事象]]
are you happy? バースデーは、グラウンドゼロ [social[社会事象]]
平和と沖縄 [social[社会事象]]
最近・・・・ [social[社会事象]]
いやあ、何があるかわからない [social[社会事象]]
デング熱ではなくてよかった(*^_^*) [social[社会事象]]
デング熱がはやること自体、どおか?
風邪が流行っていて、久々に熱を出してしまい、でもデング熱ではなくてよかった。
おー怖・・・・・・・・
明治神宮まで封鎖してたもんなあ、(゚д゚)驚きでございます。
今年は、いろいろと忙しくて年末までアップアップで、
早く落ち着きたい・・・・・・
ふと、思い出したことがあり、そのことについて考えていた。
フランス語は、物に女性名詞と、男性名詞を付けるんですよね。
ドイツ語も冠詞が女性、男性の別があるそうで。
どう言う意味か?太陽に、男性名詞のLeをつけて、Le Soleil (太陽)
女性名詞のLaを海につけて、La Mer (海)
という感じかな。
日本語には、そういう概念がないので、あまりピンと来ないんだけど、
まあ、例えば、海をこよなく愛する芸術家がいたとして、その人の愛の象徴は
海であり、それをフランス風にいえば、女性と例えるなら、そういう概念で芸術
や生き方が成り立つのであろう、と。
日本人の愛の象徴は、もっと直接的で人間というものにダイレクトなので、
小説を書こうとするときに、私はいつも考えてしまう。
恋愛小説だけが小説ではないんだけど、なにをどう書くか、という時に
なんとなく、このヨーロッパ的感覚が非常に役に立って、自分の肌に合う感じがする。
要するに、例えば、福祉という学問があって、私はこれにであってすぐ、人生の
パズルの空白がぴたっとはまったような感覚があって、それで、どんなに難しい言語であろうと
この福祉という学問においては、その言語や感覚、学術一つ一つをとても愛おしく感じる。
というような、人や生き物だけでなくとも、人間が魂を吹き込むことができれば、
それには、愛というものが宿るのではないだろうか、と考える。
欲というのは、もっと次元の違うもので、でも、それはそこに快楽が介在すれば、
自然と生まれてくるもので、でもそれはもちろん愛にも通じることではあるが、
愛には苦痛を伴うこともあるだろうから、形が見えないという意味では同じだが、
もっと複雑なこと。
という意味で、物を人に置き換える表現というのは、非常に大好きな表現で、
それこそ、その感覚こそが、愛情という物のかたちなのかもしれない(´∀`*)
なんとなく、胃の上の方があったかくなってくる感じ、そういう感じしません?
私は、ヨーロッパの文化のこの感覚に触れると、いつも、なぜか、胃の上の
ほうがポカポカしてくる感じがします。なんだろう?
生まれ変わったら、フランス人に生まれたい!!(´д`)
WAR IS OVER 2 [social[社会事象]]
休みにはいって、10キロ超を走り、いろいろ考えた。
あすは終戦記念日なんだけど、前回の続き。
私はキリスト教で挙式を挙げたんだけど、日曜礼拝にもいった。
本当はキリスト教に改宗したかったんだけど、日本ではむかしから、迫害の
イメージや、殉教のイメージが強すぎて断念。( >Д<;)
教会さん、ごめんなさい。私の場合9.11がバースデイなので、
まあ、ある時期に急にそうなったとは言え、
先祖の因縁とか、お遍路参りとか巡礼の旅のほうが先決の様子で、
そうなりました。(いろいろ、家の事情があって、結婚で家の籍を出ているので
戻ることもないだろうし)
それで、どうしてもそういうイメージになってしまいます。(´Д`;)ヾ
基本的には、キリスト教では人々は罪を犯すもので、その罪を洗い流すために
祈りを捧げるというもの。礼拝では、聖書の教えをいろいろ教えてくれる。
で、日本は、国民主権、基本的人権の尊重、戦争放棄という大原則の憲法が
戦後GHQの統治下で制定され、そこには、信教の自由、言論の自由、思想の自由
ナショナルミニマムが保障されている。で、一夫一婦制で、人身売買や奴隷制、
身分制は、現在は否定されている。
その、日本の中で生きていくにあたって、私は昔日蓮宗のお寺さんに墓がある家にいたので、
昔、法事や葬式はそのしきたりでやった。
で、いろいろ、調べるうちに、仏教にも種類があって、例えば、輪廻のサイクルから
離脱して、修行を積んで悟りを独力で開くもの(小乗仏教というらしい)や、
チベットから日本に伝わった、大乗仏教(すべての人を救おうとするブッダの教え)
というものがあるらしい、ということを知った。
で、インドとか、チベットとか言うと、なぜか、すぐに一夫多妻制を思い浮かべるみたい
だけど、実際には、現在は一夫一婦制らしい。
こういうことを書くととても嫌がられるんだけど、
(そのことは承知で)
一夫多妻制は女性から見たら、奴隷制とたいして変わらない(個人的感想)
男性だけが、召使をたくさん使えるのか?という話になってしまう。
生命倫理的な問題としても、差別やいじめを生むだけだと思うんだけど。
私は女性なので、一夫多妻制が非常に効率が悪い感じがする。
で、男性の立場は、一夫多妻制を否定する女性を排除したいから一夫多妻制を
信望したいのだろうが、(それでは完全にいじめと虐待のサイクルだ)
あと、現実問題は、一夫多妻制は一部の人間の幸せのための方法論で
あるから、一夫多妻制は女性を幸せにするシステムではないと思う。
男性はしあわせかもしれないが。でも、一つ言えることは、
一夫多妻制で、劣っている女性から生まれた男性はその時点で、
男性としての地位も剥奪されるわけだから、男性だって不幸になる。
(優位の女性から生まれた男性ばかりが恵まれるわけだし)
だって、そうしたら、優位の女性だけを娶れば済むことですよね。
結婚しない奴の方がよっぽど頭がいい。なんでも自分でできるようになる。
でも、男性でも女性でもそれができなければ、その人が劣っているんだから、
そのために一夫多妻制でごまかしたって、優劣はなくならない。
自分の好きな人だけ集めればいいんだ、というのであれば、
それが可能なところでやればいいわけですよね。
そうしたら、すべての人を救済する必要はなくなるわけだから、
いらない奴らには、いらないっていってやればいい。
そうなってしまうでしょ?(同じことだよ、理解できない相手に理解させることは難しい
でも、自分自身が生きていくために、そういう防衛手段が必要な場合も
あるでしょ?)
でも、宗教はそもそも皆のルールを守るための教えだから、
日本は一夫一婦制だから、それを守るための教えであって、違う理屈を押し付けてきて
性的暴力を強要するようなひとたちが違うのではないか。
そして、それは、日本人が過去に生命倫理を守れずに、人身売買を横行させたという事実があり、
だから、当時アメリカは一夫一婦制という価値観で、統一したルールを作ったので、(それは
平和への解決手段として。理屈はジハード、と同じなんだけど)
私は、むかしとある先生に、「悪いことを一人がすれば、みんなが悪くなる。良いことをみんながすれば
みんながよくなる。だから、善行を行うこと。」そう教わった。(このことは、大乗仏教やノアの方舟の
神話信仰という感覚に近いのだろう)
私はそれで、今も人のためになるであろう(そう信じているけど)勉強をしている。
一人、考え方が違う人間を八つ裂きにしても、その人を神にしてしまうだけで、
暴力に訴えた人たちは何も解決しない。
アメリカが押し付けた憲法という人達もいるようだが、そういう妄想が
地獄を生むのであって、違う価値観を信じることができないから
同じ悲劇を繰り返してしまう。( ; _ ; )
明日、8月15日を迎えるにあたって、(もちろん毎年だが)
世界の平和を祈ることと、自分に何ができるかを
心の底から思い祈る。
やっぱり、きちんと勉強しましょう~WAR IS OVER~ [social[社会事象]]
私は、何度もいうが、正真正銘日本国籍の日本人なんですが、(日本人の戸籍を有する両親の
もとに生まれましたし、日本語で生活してきたし、何をどう説明すればいいのか?)
日本の学校教育をうけてきて、
授業ではまったく教わらなかったことが世の中にはたくさんあり、福祉の勉強をしてから、
知ったことがたくさんあります。
まあ、例えば、朝鮮半島について。
日本が敗戦後、朝鮮半島が南北に分断されて、日本の終戦から3年後の
8月15日に大韓民国は建国している。
それは簡単な歴史上の事実なんだけど、私は朝鮮半島に
行ったことがないので、よく報道される内情が実際には
よくわからない。(本当なのかが、よくわからない、ちょっと心痛)
ただ、建国の日付なんかを考えると、韓国に対する
親愛の情のようなものを表現することが正しいことの
ように感じる。(問題はたくさんあるが、同じ黄色人種です)
日付に関しては、申し訳ないんですが、韓国は旧暦を使用しているのかな?
日本では、基本的に新暦(太陽暦)ですので、1ヶ月くらいずれがあるかなあ。
頭がこんがらがるんだけど。
ちなみに、沖縄は、祝い事は旧暦ですね。(最近はそうでもないそうだが)
最近は、日本でも、満年齢で、祝い事をするパターンが
増えていますので、旧暦とのズレという感覚を把握しづらいですね。
それに引き換え、沖縄のことは、私が生まれた頃に日本に
返還されたこともあり、実際に行ったこともあるので、
とてもよくわかる。
例えば、防空壕に、自決した兵士の手榴弾の跡が残っていて、
一般開放していたり、(内戦の証拠だから、凄まじい)
かの有名な国際通りというところは、まあ、日本の風景とは
違う趣向のものだ。(海が近くても、私の生まれ故郷にほど近い
江ノ島とはやはり違う)
けれど、民家の佇まいとか、三線も見てきたけど、
やっぱり、同じアジアの国の文化なんだなあ、という共感、
そういう感覚が非常に強く心に残っている。
明治以前まで、独立王国でその後終戦後アメリカに統治され、
1970年代に日本に返還された。
で、とくに、第一次世界大戦から、太平洋戦争・第二次世界大戦終戦まで、
もちろんその後も簡単に悲劇はなくならないが、
人間が侵してはならない過ちを、その短い期間に人類は次々に犯してしまい
今この世の中に対して何を考えるのか?
明治維新によって、日本は鎖国をとき、身分制度をなくし自由を勝ち取った
かに見えるが、そのことが、第一次世界大戦の最初の引き金だったことは
疑いようのない事実ではないか?
自由と、平和と、その代償として、たくさんの人々が犠牲になるとしたら、
私たちには、何ができるのだろうか?
身分制度が必要なわけではないのだけれど、福祉の先進地域である、ヨーロッパ
などは、共産主義の概念を従前の共産主義国家から学び、通貨や経済や宗教の
共産主義的概念だけを残したようだ。(本にそう書いてあった(*´∀`*))
それに、福祉的概念を国家の制度として、たくさん構築していって今のような
安定とゆとりと、通貨の高い価値を評価される文化を作り上げた様子だ。
(なんか、難しすぎて、英語の例文のようになってしまいます・・・・・( ; _ ; ))
日本はこれから、日本古来の文化をきちんと伝承できる教育が必要で、
さらに、成人も、日本という国家の正体をきちんと理解しなくてはいけないと
思います。
今日は、長崎の原爆の日で、15日は終戦記念日です。
今は、日付に姿を変えてその史実を伝えているが、すべて実際にあった事。
そう、「イマジン」ではないが、イマジネーションを働かせて想像してみることが、
大事だと痛感。
そして、想像してみることができる平和のもとに生まれた
自分たちの強運に感謝しよう。
追記、2001年、9月11日の13日後にオノ・ヨーコさんが
imagine all the people life in peace
という、広告を出した、という件で、peace という言葉の解釈についての
語源がいろいろあるそうで、私はそのことを知らなかったので、
昨日私が使った平和(peace)
という言葉が正しいか?どうか?
本意は戦争のない日本に、この時代に生まれたことを感謝したい、
という感じです。
でも、世の中には、わかりあえないことがたくさんあるからね。
たとえば、戦時中のことは、日本人が謝罪すればすべて解決
するわけではない。そういうふうに考えました。
自分自身ということ [social[社会事象]]
介護現場にて、仕事をしていてよく考えたこと。
例えば、自分の手を使って食事がしたいという言語的要求があったとします。
自分の足で、歩いてトイレに行きたいという言語的欲求があったとします。
その言葉を聞いた私は、人間らしい生活を取り戻したい、と、訴えているように
感じたことがたびたびありました。( ; _ ; )
人間が、人間としての尊厳を保持して、人間らしい生活を維持することのアシストを
することが、介護や、福祉という仕事の役割です。
そのこととは別に、日常生活において、尊厳について考えさせられることが
よくあります。
高度経済成長期以前の日本は、集団としての教育が浸透していました。
社会主義国家や、共産主義国家や、全体主義、軍国主義と言われるような前時代的な国家の思想も、
そういう側面が多々あったと言われています。
2025年頃日本は高齢化社会のピークを迎えます。その後、その数は緩やかに減少していきます。
そして、高齢者や人口が減少していく過程で、北欧を手本にした、高福祉高負担の社会構造へと、
転換していくといわれています。
(2025年以降、人口に対する高齢者の割合が増加する、超高齢化社会を迎えます。人口は徐々に減少していく
ため、高齢率はどんどん高くなると言われています。)
かつて、共産主義国家に叫ばれていた、理想の経済主義論、のような、そういう、資本主義国家とはまた
別物の社会構造の世の中と、いいます。
要するに、現代の資本主義構造が崩壊し、人類個々の人権や、基本的権利が絶対的に保持される世の中。
そういう世の中には、暴力や戦争といったものはない、といいます。
しかし、現実は、飢餓や、人口の増加、伝染病の蔓延などから、いまだ、解放されない途上国の
人口も地球上には数多くいて、そこでは、貧困や、戦争や暴力が絶えないのが現実です。
尊厳というのは、集団の理論では、口に出してはいけない理屈のこと。けれど、本当に理解ができれば
とても重要なことです
個人的には、これからの日本は、子供たちに自分自身、というものを、エゴではなく、わがままでもない形で
きちんと教えられるようにしていく必要があると考えます。
自分自身が何者なのか、人間としての尊厳をどう全うしていくか、そして、社会のための自分という役割と
意義、そういうことを自ら知っていく教育を、子育てをする親たちひとりひとりが、自覚をもってやっていかないと
日本の子供たちは、前時代のように逆行して、暴力や退廃に身をゆだねて凶悪犯罪に手を染めてしまいかねない。
一度、世の中に産み落とされた子供たちは、死ぬまで、その、基本的人権が侵害されてはいけない、
というルールがあり、尊厳が保持されるべきだという倫理があります。たとえ、身寄りの全くない子供でも
、凶悪犯罪に手を染めてしまってもです。
すべてのうみ落とされた生命には、身体と、魂と人生が与えられるということなのです。
(犯罪を犯した子供たちに厳罰を科すかどうかは、また別の倫理として。)
すべての子供たちが平等に健康的な生活を営む権利があり、それはけっして、侵害されてはならない
ということなのです。
もうすぐ、東京では再びオリンピックが開催されます。
それまでに、震災級の災害なんてくると思います?
ただでさえ、前回の大震災で、ご家族や住む場所を失った人々が多くでたのですから、
もう、東京でオリンピック終わるまで、そういうネガティブな思想はまったく無視しちゃって、
世のため、人のため、正義のために、日本を良くしていきましょうよ。
私は、10年は震災級の災害なんてないと強く願うし信じます!!(断言!!)
まあ、一番は、未来のこの国を支える子供たちのためにです。
と、いうことで、今の夢は、東京のパラリンピックで、ボランティアとかできたらいいなあ、
(っていうか、やったるぜい!!まかせとけ!!くらいな感じ)
それまでに、勉強たくさんして、北欧にも行ってみたいなあ、なんて思ったりします。(*´∀`*)
コメント、受付承認後、表示にしてありますので、あしからず。