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自分自身ということ [social[社会事象]]

介護現場にて、仕事をしていてよく考えたこと。

例えば、自分の手を使って食事がしたいという言語的要求があったとします。

自分の足で、歩いてトイレに行きたいという言語的欲求があったとします。

その言葉を聞いた私は、人間らしい生活を取り戻したい、と、訴えているように

感じたことがたびたびありました。( ; _ ; )

人間が、人間としての尊厳を保持して、人間らしい生活を維持することのアシストを

することが、介護や、福祉という仕事の役割です。[晴れ]

そのこととは別に、日常生活において、尊厳について考えさせられることが

よくあります。

高度経済成長期以前の日本は、集団としての教育が浸透していました。

社会主義国家や、共産主義国家や、全体主義、軍国主義と言われるような前時代的な国家の思想も、

そういう側面が多々あったと言われています。

2025年頃日本は高齢化社会のピークを迎えます。その後、その数は緩やかに減少していきます。

そして、高齢者や人口が減少していく過程で、北欧を手本にした、高福祉高負担の社会構造へと、

転換していくといわれています。 

(2025年以降、人口に対する高齢者の割合が増加する、超高齢化社会を迎えます。人口は徐々に減少していく

ため、高齢率はどんどん高くなると言われています。)

かつて、共産主義国家に叫ばれていた、理想の経済主義論、のような、そういう、資本主義国家とはまた

別物の社会構造の世の中と、いいます。

要するに、現代の資本主義構造が崩壊し、人類個々の人権や、基本的権利が絶対的に保持される世の中。

そういう世の中には、暴力や戦争といったものはない、といいます。

しかし、現実は、飢餓や、人口の増加、伝染病の蔓延などから、いまだ、解放されない途上国の

人口も地球上には数多くいて、そこでは、貧困や、戦争や暴力が絶えないのが現実です。

尊厳というのは、集団の理論では、口に出してはいけない理屈のこと。けれど、本当に理解ができれば

とても重要なことです[三日月]

個人的には、これからの日本は、子供たちに自分自身、というものを、エゴではなく、わがままでもない形で

きちんと教えられるようにしていく必要があると考えます。

自分自身が何者なのか、人間としての尊厳をどう全うしていくか、そして、社会のための自分という役割と

意義、そういうことを自ら知っていく教育を、子育てをする親たちひとりひとりが、自覚をもってやっていかないと

日本の子供たちは、前時代のように逆行して、暴力や退廃に身をゆだねて凶悪犯罪に手を染めてしまいかねない。

一度、世の中に産み落とされた子供たちは、死ぬまで、その、基本的人権が侵害されてはいけない、

というルールがあり、尊厳が保持されるべきだという倫理があります。たとえ、身寄りの全くない子供でも

、凶悪犯罪に手を染めてしまってもです。

すべてのうみ落とされた生命には、身体と、魂と人生が与えられるということなのです。

(犯罪を犯した子供たちに厳罰を科すかどうかは、また別の倫理として。)

すべての子供たちが平等に健康的な生活を営む権利があり、それはけっして、侵害されてはならない

ということなのです。

 もうすぐ、東京では再びオリンピックが開催されます。

それまでに、震災級の災害なんてくると思います?

ただでさえ、前回の大震災で、ご家族や住む場所を失った人々が多くでたのですから、

もう、東京でオリンピック終わるまで、そういうネガティブな思想はまったく無視しちゃって、

世のため、人のため、正義のために、日本を良くしていきましょうよ。

私は、10年は震災級の災害なんてないと強く願うし信じます!!(断言!!)

まあ、一番は、未来のこの国を支える子供たちのためにです。

と、いうことで、今の夢は、東京のパラリンピックで、ボランティアとかできたらいいなあ、

(っていうか、やったるぜい!!まかせとけ!!くらいな感じ)

それまでに、勉強たくさんして、北欧にも行ってみたいなあ、なんて思ったりします。(*´∀`*)

コメント、受付承認後、表示にしてありますので、あしからず。


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