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平和と沖縄 [social[社会事象]]

沖縄について。
私が沖縄にいったのは、1998年。沖縄サミットの2年前の夏の終わりだ。
まだ、サミットの準備前で、地下鉄の工事にとりかかる前だった。

わたしには当時、縁あって、沖縄から大学へ入学し、勉強しに来ていた
沖縄生まれの友人が何人かいた。
また、沖縄から大学を経てそのまま就職した中に、沖縄から上京してきている
者もいた。

1週間近くの旅行は、恩納村と那覇に半分づつ宿泊をした。

レンタカーで、島内観光をした。
友人の旅行会社の組んでくれた、オリジナル個人ツアーで、
オプションにシュノーケリングや、ウェイクボードをつけた。


豊見城市にある、海軍司令部防空壕

地図を探して、やっとの思いでたどり着いた場所。
防空壕に入る階段には、千羽鶴がいくつもぶら下がっていた。

地下に、いくつも部屋があって、そのなかには、沖縄戦で、
敵に追い詰められて、防空壕内で、手榴弾によって自決した
爆発の痕跡が痛々しく跡を残していた。(合掌)

沖縄戦跡国定公園

平和の礎や、ひめゆりの塔がある。
平和の礎は、戦没者を祀った名前の入った石碑。

ひめゆりの塔は、沖縄師範学校の女子部の生徒が、沖縄戦で、従軍看護婦として、
動員され、陸軍病院で学徒として従軍したが、そこで、戦死したひとたちを祀ったものだ。

写真は辺野古岬で、祖国復帰闘争の碑。
名護市のキャンプシュワブの近く。

国際通りや、海洋博の跡地なんかは、わりと、有名な観光スポットだが、
首里城は、琉球王国時代の華麗な遺産で、琉球王国の栄華と
ユイマールといわれる思想に触れることができる。

素晴らしいのは、アジアの小国が、200年以上も戦争する武器も持たずに、
流通貿易と、もてなしを外交手段として栄えたこと。
(一説には、450年以上ともいわれる)

そして、その小さな国が、明治維新とともに解体され、日本に吸収され
太平洋戦争に巻き込まれていく歴史の史実には、涙が出てきます。

もういちど、生きている間に行きたいところのひとつ。

サミットの後、だいぶ変化したのだろうが、
もういちど、訪れたい。

いまも、30度以上の灼熱の空気と、
その風景の背後にあるひめゆりの塔が
記憶に鮮明に残っている。

若い人たちが、再び間違いを犯さないように、
私たちが伝えられる真実があるはず。

写真が古くてすみません。
もう、17年くらい前かな。
私も一緒に載せようとかとおもったが、
あまりに、若くて可愛らしく恥ずかしいのでやめておいた。
[わーい(嬉しい顔)][あせあせ(飛び散る汗)]自画自賛かあ、今と比べると、なんでも、可愛らしく見えるよ。

最後に、従軍看護婦というのは、内戦が激しくなった沖縄において、
従軍して治療や救命をするために動員された、ということで、
公娼制度は、べつに、戦時中に世界各国であった事実とされています。
沖縄の人たちの名誉にかけて、沖縄での本土決戦の激しさを
理解していただきたいと考えます。

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