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桜の咲く季節の前に。過去への探訪と個人的見解。 [social[社会事象]]

今日は、ニュースで80年前の2.26事件について、
何箇所かで放送をしていた。毎年のことだ。

歴史上の出来事なので、イマイチピンとこないかも
しれないが、事件当時東京から習志野駐屯地まで
戒厳令が敷かれた。

80年前には、日本は今戦火が激しい地域とさして変わらない。

私たちの住む船橋という地域は、明治維新以降、動乱の地であって、
戊辰戦争の船橋・市川の役から、2.26の戒厳令、果ては習志野駐屯地
(当時の陸軍演習場)が近いこともあり、無線基地や捕虜の収容所なんかも
あったそうで、繁華街や歓楽街が近いこともあり栄枯盛衰を極めた。

私の親の代が幼い頃に過ごした、船橋の漁場に近い地域があって、その近くに
80年前に建て替えをされたとおぼしき先祖の墓が今も寺の奥の方に
どーんとそびえている。
そこには実は、80年前の戒厳令が解除された7月に建立された
と彫ってあり、そこに眠る先祖たちはそれぞれ没した日がそれよりも
ずいぶん前なので、おそらく墓の持ち主がその7月の解除に合わせて
記念的に建立の日付を入れたのではないかと憶測できる。
それだけ、当時のクーデターと戒厳令の解除が大きな事件だった
ということが窺い知れる。
当時のこの地域の動乱の歴史を考えてみれば、自ずと推測される
事実ではないかと考える。

あまり深い意味はないようだが、東日本大震災も超えてしまった
つわものだ。
しかもそこに眠る先祖は、江戸時代の生まれとなっている。
ちょっとびっくり(^o^)/

まあ、そのようなものが、現代まで受け継がれたことを、
反対に戦争や平和を考える上で感謝してみた。
結局この墓に刻まれた謎の日付のおかげで、
船橋の歴史や、戊辰戦争の本、2.26事件の本など
たくさん読書してしまった♪(´ε` )
とにかく当時刻一刻と変わる世界情勢があって、
その中で自分たちがどの時代を生きたかという
証を後世に残すのは、非常に大変なことなので、
現代、反対に反面教師のようにその一つの事柄
から学び取る事実が非常に大きく、そして人間は
同じ過ちを繰り返さないためだけに、そういった事実を
人間の英知を持って超えていくことが可能だと
信じたいところ。

当時戒厳令以外にも、様々な事件や物騒なことは頻発
したらしく、その中には、虐殺騒動なども実際に
あったという記述もあった。

そんなこんなで、例に漏れず、私も直系を3代遡っても
国籍は日本にしかなくて、むしろ戦災を被った
方の被害者に当たるはずで、むろん戦死者もいるようだが、
事実は役所の人たちがおおかた教えてくれたが動乱が長く
続いた地域だったがために、これ以上の手はずがすでに私
の代では時遅しだったという部分があったらしい。
けっこう細かく教えてくれた(⌒-⌒; )

日本の人口が本格的に減少傾向になってきたそうです。
これからの新しい時代が、平穏であることを祈ります。




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