2011の記憶 [ news]
余震と前震、一旦決定したものが逆になるなど、再び
自然の脅威をまざまざと見せつけられた、熊本地震。
道路とか、マンションとかがひしゃげてしまって、
2011の時に、はじめて体験した感覚を思い出す。
ボランティアさんが当時、現地、石巻で撮影した写真を
ボランティアから帰ってすぐに見せてもらったのだがその写真の
凄まじさを思い出す(⌒-⌒; )
いつか人類の英知が、天災を超えられることを祈る。
こんな時になんだけれど、ダリとか、フリーダカーロ
とか、ムンクとかの絵を思い出す。
悪意、不安、恐怖は、形作るときにも不条理の形を描くのだろう。
それはそれで、絶望を描く天才たちの技量。
普遍性や幸福は、快感の色使いであり、光景だとつくづく感じた。
私は肝っ玉が小さいなあ。
簡単に絶望なんて描けない。
みんなが幸せな方がいいに決まってる。
自分も含めて。( ; ; )
自宅近くのサッカー場と、小学校にて撮影。
今は編集の技術が進歩していて、とても便利♪( ´θ`)ノ
もう10年近く運営してる、可愛いブログちゃんです。
全部自分で撮影してるのよ(^ ^)
でも、最初はこんなに編集技術が進歩してなかったからね。
幸せな光景を頭にインプットすることも、生き抜くための
方法だと思います( ´ ▽ ` )ノ
今だから、書ける余談。3月に浦安で液状化と地割れの中
ボランティアにいそしんで、休む間も無く、
2011年4月。東日本大震災から半月ほど。
当時の職場の研修で私は4月の1ヶ月間、朝4時に起きて、千葉県を
渡り歩いた。
船橋から、稲毛、八街、下総松崎。
東日本の震災で電車も臨時運行で、大変な思いをしたけど、
下総松崎で、瓦が飛び散った様子でビビりまくり、
その後の八街で、路線バスで途中余震でストップしながら、
枝垂れ桜や、バスから見た花畑の美しい光景が
思い出される。
被害の拡大が起きないことを祈ります( ; ; )
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