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ユニバーサルという言葉 [social[社会事象]]

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ユニバーサル・・・一般的、世界的、宇宙的、広く

1・2年前の話。
私は、30年以上同じ地域に住んでいるのだが、20年以上前に在学した
高校のアルバムのことで、ちょっと昔に少し揉め事があり、
そういった話を片付ける意味と、当時の感謝の意味から、
その学校にほんのすこしの寄付をさせていただいた。

お電話で話しをすると、当時の職員はもう誰もいないのだが、
書留で受け付けてくれる、とのこと。
お年玉くらいの金額ですが、という前置きで、当時の事情を
説明したら快く了解していただけた。
後日、領収証とともに、お手紙が送付されてきて、
部活動の活動費の一部に繰入れしていただけるとのお返事でした。

まあ、せっかくの記念品で嫌な思いをしてしまっても、
ということもあり、きもちだけですが、納めさせていただきました。
( ;´Д`)ごめんなさい。ありがとう。


まあ、そもそも私自身に、社会的制約があるのだが、障がい者手帳は持っていないし、
病気はない。国籍も日本だし、日本で生まれて育ったのだが、子供の頃、家庭崩壊で
親権の問題でもめてしまった。私は、養子にはならなくて、直系卑属で
相続する予定だったが、揉め事が複雑になり、結果、放棄のような状態になった。
これは、差別的な意味ではない。カミングアウトに近い状態だが、
一般社会の中では、私も、在日外国人の方も、障がいを持つ方も
同列だ。社会的庇護がない分反対に不利益を被ることも
たくさんある。でも、軽度ではない障がいを持つ方たちの中には、
もっと大きく理不尽を抱えたりする方も多いのではないか。
外国人の方ならば、言葉の壁も社会的制約といわれる障壁のひとつだ。

そういったこともあり、いろいろな社会的制約を重く感じて、
10年ほど前からボランティアなど、福祉を志した。
自分の社会的制約を学ぶこと、人のため、公共の福祉
のために。

最初は、市役所で行っている、広報誌の出版ボランティアで、
1年間、無償ボランティアとして、出版の活動をした。
交通費も自腹。お茶を持ち寄りするうちに、
市役所の職員さんは、ペットボトルのお茶を
差し入れしてくれるようになった。
子育てや、バリヤフリーのための案内を1年かけて
作成した。
10名ほどの人たちと1年間楽しく活動できた。

その時の経験が非常に大きく、
その後、子ども手当の増額のときにも
署名活動をお手伝いしたり
地域ボランティアや、PTAなどの活動を通して、
今も地域活動を行っている。♪( ´▽`)

5年くらい前だろうか?
PTAの広報部で、部長をやった。
当時介護施設(社会福祉法人)で、夜勤帯込みの契約社員で勤務していて、
夜勤明けに寝ないでPTA室に朝イチで向かい、
ひとり机を並べて、他のお母さんたちが来るのを待って
毎週、活動を行った。その頃は、3世代で同居していて、
夜勤を週1回と、日勤帯でも週3、4日勤務していたので、
明けの日程しか平日に時間が取れなかった。
メンバーも素晴らしかったし、私が夜勤明けに居眠りするのを他のメンバーは、
叱咤激励してくれて、なんとか1年間やりきった。
その年、本校は、広報活動の市のコンクールの佳作を受賞した。

年3回の発行で、新入職員の紹介、体育祭、卒業というテーマで
ずっと発行している学校誌だが、その年は、体育祭の特集の秋発刊号の
ページの空きスペースで、公共マナーの特集を組み、
全校アンケートを実施、集計して啓蒙活動のような感じで
2大特集を組めたことが勝因だった。
みんなで、お菓子を持ち寄ったりして、アットホームな雰囲気で
できたことも良かったと思う。

いまは、事情があって、福祉の仕事ではない仕事をしている。
一般社会という世界。私のことを周りの人は、変わっている、
と感じるかもしれないが、自分はそれを受容した上で、
順応していくために努力をしている。
自由も自己責任、幸福も不幸も自己責任。
娯楽も仕事も自己責任。
それが、一般社会。

ところが、ふと、当時の印刷物なんかが出てきて、当時は
ただ、がむしゃらで必死だったので、受賞の嬉しさはあったが、
また多忙な日々の連続で、それこそ、学校内でお疲れ様会を簡単に
済ませたくらいだった。
子育てする親と、学校と、子供たち、というまた一般社会の
前段階である、違う成り立ちの共助の社会のひとコマ。

当時のその印刷物を目にしていたら、なんだか、こんなにあのころ
必死だったんだなあ、と涙が出てきてしまって、
本当に子供達を育てることで頭がいっぱいで、
あんなに必死にやりきったんだなあ、と、今更感動してしまった。

子供達を育てることだけで頭がいっぱいだった。
それと、福祉という仕事がそういった活動に非常に寛容であったことも、
力が発揮できた一因だと思う。

自分が中学生のとき、級長で、学年の代表を女子なのに出しゃばって
頑張ってしまって、ちょっとしたことで怒られた時に、
「代表になる人間はミスをしたら全体に迷惑がかかるんだ。」
と言われた記憶が鮮明に残っていて、反対にその言葉があったから
良いことを心がければ、みんなが良くなるだろう、と
必死に頑張った甲斐があった。
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そして、私のような社会的制約を抱える人間でも、
努力や協力や信頼は能力を開花させることがあるから、
諦めずに何かをやり続けることが、本人の誇りになるし、
本人も周囲もそのことを受容することが必要で、
北欧型のいわゆる高福祉高負担の世界という、
競争社会とは違う概念の次世代的な社会構造は、こういう精神力や
思想が非常に大事で、人間がいつまでも野蛮な殺戮を
繰り返さないために、非常に重要で、ユニバーサルという言葉どおり
このようにして、人類は成熟期を迎える必要があるのではないかと考える。
人が幸福に人生を送るための福祉が必要だと思う。









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